9. 身体疾患と精神疾患
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1. 身体疾患による精神の変調
1-1. 歴史的意義と今日の重要性
身体疾患によって精神の変調が生じることは医学のあらゆる領域で認められる こうした変調の診断や治療にあたることは、いつの時代にも精神医学の重要テーマだった
今日では医療技術が高度に進歩した副産物として、各種治療薬の副作用としての精神症状が問題となっている
慢性疾患の治療過程では、身体疾患の症状、治療薬の副作用、闘病に伴う心理的な苦悩、時には死に直面しての不安など、さまざまな要因の複合による精神的変調が日常的に生じる 医療の各分野で起きる多彩な問題をめぐり、相談に応じて治療や助言を行ったり、他科と連携して患者を診療したりする精神医学の働きのこと
医療の進歩とともにその必要性は高まっており、ことに総合病院における精神科に期待される重要な役割となっている
1-2. 器質性精神障害と症状性精神病障害
伝統的に行われてきた区別
中枢神経系以外の身体の病変に基づいて生じる精神障害
両者とも原因となる疾患や条件は極めて多彩であるが、症状に関しては共通のものが多い
医療品副作用
なかでも意識障害は、さまざまな原因によって脳の機能が一時的に低下した場合に起きる非特異的な症状であり、身体疾患による精神障害に共通の基本的な病態 一方認知症は、器質的な変化によって脳の機能が永続的に損なわれた病態と考えられる 1-3. 代表的な症状
意識レベルの単純な低下
重度であれば昏睡に陥るが、軽度の場合は「何となくぼんやりしている」という程度のものであり、その中間に様々な段階がある
昏睡など重度の意識混濁は異常が明らかなので見逃されることは少ない
特に、軽い意識混濁を背景として錯覚や幻覚が出現し、不穏となった状態をせん妄(譫妄)と言う せん妄では一見活発に精神が働いているように見えるが、意識水準が低下しているために外界を正しく認識できず、見当識(orientation: いま何日の何時で、自分がどこにいて、何をしているかという認識)や記憶力が低下あるいは失われ、その間のことを後から思い出せない せん妄の症状は時間とともに変動しやすい
せん妄で出現する幻覚は統合失調症などと違って幻視が多いのが特徴 幻覚妄想を伴う意識障害といえば重篤に聞こえるが、実はさほど珍しいものではない
幼児が高熱を出してうなされたり、周りの様子が変わって見えて怯えたりする
大きな手術の後で全身麻酔から覚めるときにしばしばお起きる せん妄は原因となる身体疾患が治癒すれば改善する
周囲がそのように理解し、落ち着いて対処することが重要
夜間せん妄の場合は、患者が落ち着けるよう環境に配慮し、日中にはつとめて話しかけたり外気に触れさせたりして覚醒レベルをあげ、自然な疲労によって夜の眠りを誘導するなどの工夫をする(→13. 老年期と精神疾患) このような非薬物的対応が優先されるが重症の場合には抗精神病薬による一時的な鎮静が必要となる ただし振戦せん妄の治療や予防では、アルコールからの離脱を目的として一時的に用いられる場合がある(→10. アルコールと薬物) 慢性の器質疾患では、認知症やパーソナリティ変化などの永続的な変調が現れることが多い
認知症として知られるもの
交通事故などによる頭部外傷は若年者にも認知症を引き起こす可能性があり、有病率もかなり高い 認知症は以前には「いったん正常レベルにまで発達した知能が、何らかの原因で不可逆的に低下するもの」と定義されていた
長期的に観察しなければ認知症かどうか判断できないことになる
時にはいったん認知症と診断されたケースがその後の治療によって改善し、「不可逆的」という定義と矛盾をきたすこともあった
とはいえ、そのような症状が回復可能化どうかの判断が、治療にあたって重要であることは変わりがない
認知症の診断にあたっては、意識障害やうつ病による一過性の機能変調の可能性を念頭に置き、脳の疾患や内分泌疾患などを慎重に検索する必要がある
慢性的な脳器質疾患や外傷に伴って、パーソナリティに変化が起きることも多い 怒りっぽい、気分が不安定、根気がない、恥じらいを欠くなど、具体的な現れはさまざまであり、変化の程度も個人差が大きい
脳の前頭連合野は、道徳的判断や意志・計画性などを司る領域と考えられており、器質疾患によってこの部位の機能が阻害される結果、パーソナリティの変化が生じるものと考えられる その他の症状
身体疾患による精神障害では、以上の他にも多彩な症状が出現する
身体疾患への罹患によるストレス耐性の低下、意識障害や知的機能の低下などの背景があり、とりわけ入院という特殊な環境に長期的に留め置かれるなかで、不安障害や行動の異常が出現することもしばしば見られる 2. てんかんと脳波異常
2-1. てんかん発作とてんかん
大脳の細胞の一部が何らかの事情で過剰な発射を起こすと、その部位や規模に応じて運動・知覚・精神活動などにさまざまな変調が生じる 過剰発射を起こすようになった脳部位
てんかん焦点が形成される事情は様々
頭部外傷や脳血管障害など原因が特定されるもの
原因の見当たらないものもの
発病危険率は0.3%前後とされ、人種による差はなく、小児期から思春期までに初発する場合が多い
特発性てんかんの発症には遺伝も関与するが、遺伝の寄与率は双極性障害よりも低いとされる 全体として発病率の男女差はないが、発作型によっては差が見られるものもある
特発性てんかんと症候性てんかんの比率は約3:1と言われる
一方ではコントロール不良なてんかん発作が原因となって大きな事故が起きたケースもある
超高齢社会を背景として、脳梗塞の後遺症などによる高齢者の症候性てんかんが増加しているとの指摘があり、治療環境をいっそう整備していく必要がある 2-2. てんかんと脳波検査
覚醒・閉眼時の正常の脳波は、後頭部を中心にα波と呼ばれる13Hz前後の波がリズミカルに出現するもので、目立った左右差がない https://gyazo.com/9e9f195ede4d091331a39a16f94ead80
基礎活動のこのような特徴を踏まえ、正常パターンからの逸脱をチェックしながら、てんかん性の異常について検索する
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脳波上で異常波の形や頻度を調べ、併せて脳のどの部位にあるか、つまり、てんかん焦点の局在を知る そうした情報と患者の臨床データを照合して、てんかんの型を診断する
型によって用いる治療薬が異なるので、脳波検査を行っててんかんの型を決定することは重要
ただし、てんかんの診断はあくまで臨床症状の評価が基本であることに注意
脳波検査は有用ではあるが補助的なもの
仮に脳波上で異常所見があっても、これに対応する臨床症状がない限りてんかんとは診断されない
2-3. 代表的な発作型と治療
てんかん焦点の部位に対応した特定の症状が出現する
e.g. 腕がピクリと動く
e.g. チカッと光が見える)
e.g. お腹がぐるぐる動く
e.g. 特定の情景が浮かぶ
発作の間も意識が保たれている場合
発作の間は意識が失われこの間の記憶が欠損する場合
側頭葉てんかんでは幻覚妄想を含む精神病症状がしばしば認められ(てんかん性精神病)、そのような事情もあっててんかんが精神疾患のうちに数えられてきた 異常発射が大脳全体で起きるもの
てんかん発作の代表的な形としてよく知られている
前兆(aura)に続いて意識が消失し、一点凝視の状態から手足の強直(筋肉の強い収縮)が始まる 強直は全身の筋肉に波及し、最後にはのけぞるような独自の姿勢をとって転倒する
怪我や溺水・火傷などの事故にあったりする危険が大きい
覚醒後に頭痛や不機嫌状態を呈することが多い
けがさえなければ1回の大発作が命に関わることはないが、発作が連続して起きるてんかん重積状態に陥ると危険 大発作は健忘を伴うため、本人は発作があったことを事後に覚えていない このため本人は無頓着であり、服薬を怠り勝ちになることが多い
意識消失は突然起きて数秒〜数十秒持続し、また突然回復する
患者は動作を停止し放心したように言えるが、発作後は何事もなかったかのように動作を再開し、発作があったことを記憶していない
発作は1日に数回〜数十回にも及ぶことがある
小児期〜学童期に発病し女子に多い
放心したような外見や、発作による学習効率の低下のため「集中力不足」などと学校から指摘されて気づかれることも多い
以上のような各種の発作を、さまざまな組み合わせと時間経過で生じる慢性疾患がてんかん てんかん発作と同じくてんかんという疾患の経過も多彩
成人するにつれて自然に症状が消えるものから、重篤な発作を反復して知的障害を遺すものまで予後はさまざま てんかんの患者には、粘着性や爆発性を特徴とする特有の性格変化が起こるとされ「てんかん性性格変化」と呼ばれた 長期の服薬が必要となるので心理教育による服薬の動機づけが治療上の重要なポイント 抗てんかん薬の血中濃度を定期的に測定し、適切な範囲にあることを確かめつつ薬物療法を進めることが原則 3. ストレスと心身症
3-1. ストレス理論の過去と現在
「外界からの多彩な刺激・要求に対する生体の非特異的で一様な反応」
ハンガリー生まれのカナダの生理学セリエ(Selye, H)が工学の世界で使われていたストレスという言葉を医学・生理学の世界に導入 反応を引き起こす外界からの刺激
環境刺激
暑さや寒さ、痛みや空腹、孤立や過密など
心理社会的や圧力
ストレッサーは多彩であっても、これに曝される生体の側には一定の共通した反応が引き起こされる
ストレス反応はヒトが生きていく自然なプロセスの一部であるが、ストレス反応が過剰となったり長く続きすぎたりすれば、個体を疲弊させ病気を引き起こすと考えた
セリエの提唱した生物学的なストレス論は、その後、心理学的な方向へ大きく発展した
3-2. 心身症の概念と実際
ストレスに関連の深い健康問題として、ここでは心身症について考える 「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与する病態」であり、ただし「神経症やうつ病などの精神障害にともなう身体症状は除外する」とする日本心身医学会(1991)の定義が広く用いらている この定義からわかるように「心身症」は特定の疾患(群)の名称ではなく、既存の身体疾患の発祥や経過に関する概念
たとえば、胃・十二指腸潰瘍は、内視鏡検査などによって肉眼的に確認できる器質的な疾患 潰瘍は物理的な刺激や悪性腫瘍など様々な原因から生じうるが、特に心理的ストレスが大きな要因であると推定されるケースについて、これを心身症と考える
典型的な症例 p.149
心身症が重症化するケースには様々なパターンがあるが、この例のようにストレスや疲労に関する気づきが悪く、過剰適応に陥って頑張りすぎる例はしばしば見られる 心理的原因によって器質的な異常が生じるメカニズムについては、内臓の働きが自律神経系・内分泌系・免疫系などの統制下にあり、これらの系が情動興奮によって顕著に影響されることを考えれば理解しやすい https://gyazo.com/2d1ed29ad7549e514efc0e24854c2dd9
心理的な動揺が身体に影響を及ぼすのは、当然の現象
事実、心身症的な性質の強い疾患としては消化性潰瘍の他、あらゆる器官の多様な疾患がそこに含まれる 心身症的な経過を取ることの多い疾患の例
その他
こうした事情からICD-10は、心身症という言葉をあえて用いない立場をとっていた 「『心身症』と特記されない疾病は、心理的要因が関与していないかのように誤解される恐れがある」というのがその理由
事実上すべての疾患が心身症的な側面をもつとの認識による
3-3. ストレッサーと個体側の要因
心身症の成り立ちについてはストレッサーと個体側の要因との両面から考えていく必要がある
心身症とストレッサーの関係に注目した研究としては、ライフイベント・ストレスの定量化の試みが有名
人生のなかで起きてくる比較的大きな出来事
結婚・出産・就学・就職・退職・家族との死別・離婚など
これらは幸不幸を問わず何らかの変化を生活にもたらし、これに適応することがヒトにとってストレス負荷となる
年間の生活変化指数が高まるにつれ、心身症の発生率が有意に増加することを観察した
同様の調査はわが国でも行われている
table: 表9−6 ライフイベントのもたらすストレス
ストレッサー 生活変化指数 ストレッサー ストレス値
配偶者の死 100 配偶者の死 83
離婚 73 会社の倒産 74
けがや病気 53 離婚 72
結婚 50 けがや病気 62
仕事を解雇される 47 上司とのトラブル 51
妊娠 40 結婚 50
上司とのトラブル 23 妊娠 44
休暇 15 長期休暇 35
一方個体側の要因としては、一定のパーソナリティ傾向が心身症の発症と関連する可能性が指摘されている このタイプの患者は仕事熱心で過剰適応の傾向を示す一方、自他の感情を感じ取り言語化することに困難があるという
このために自分の抱えているストレスに気づいて解消することが不得手であり、身体への負荷が遷延するために心身症が生じる
このことを脳の仕組みから見るなら、アレキシサイミアでは辺縁系で発生した情動が大脳新皮質で認知されにくく、辺縁系から視床下部を介して身体器官へ下降する刺激に制御がかからないため、器質的異常が生じるということだろう タイプAと呼ばれる行動様式が、冠動脈疾患の発症率との間に強い正の相関を示すとの説もよく知られている いつもせかせかと時間に追われ、競争的・攻撃的で野心が強く、努力家だが怒りっぽいといった特徴をもつ
この他、脅迫的、自己愛的、境界的など、さまざまなパーソナリティ特性について、心身症との関連が指摘されている
特定のパーソナリティ類型が問題であるというよりは、ストレスへの気付きや自己認知を妨げるさまざまな背景が、広く心身症の発生に関わっていると理解すべき
心身症の治療においてもストレッサーと個体要因の双方に目配りする必要がある
過剰なストレッサーを軽減するような環境調整を行うとともに、患者のパーソナリティ特性やストレス対処能力に問題があればそれを修正することが望ましい